(30)ほのぼの じいちゃんとばあちゃんの日々 (おばちゃんと聖火ランナー その5)
こんにちわ、てらなっとうです。
最初に念押し
今日も明るくふにゃりへにょりの記事にしますよ!
ばあちゃんが入院しました。
残された時間、精いっぱい会話していこう、
でも、私も無理しないよう、肩の力も抜いていこう、
と思っています。
先週は、ばあちゃんの姉と妹も、お見舞いに来てくれました。
その
大好きなおばちゃん(姉)の話。
おばちゃん、83歳。
マラソンでたことあります。
マラソンといえば、今年ある、東京オリンピックの聖火ランナー。
おばちゃん、応募したんです!
そして
「被災した、真備町より、聖火ランナーに決まっています!83歳ばあちゃんが、まびっこがんばれ~と走ります!!」
と言えれば、カッコいいんでしたが、残念ながら、落選でした。
それでも、
おばちゃんが、聖火ランナーに申し込みしたらしいよ!
というニュースは、うちのばあちゃんも、ばあちゃん兄妹たちに大きな力をくれました。
丁度、ばあちゃんは、放射線治療を受けることを決意して
(80越えての放射線治療は、体力的にも、若い人以上に辛いです)
2か月弱の期間、副作用と戦っている最中でしたし、
ばあちゃんの弟(私のおじちゃん)も、難病治療で、(その後1回につき、10時間の点滴等に耐える)丁度励ましたい状況でしたので、
おばちゃんの聖火ランナーの申し込み用紙のコピーは、またまたたくさんの人をはげましたのでした。(コピーしまくったのは、私でしたが笑)
聖火ランナーの応募用紙が、なぜそんなに心動かすか?
おばちゃんの了解を得て、
自己PR欄に書いた文章を載せます。
避難先から通学する 7台のスクールバスへ、
家のベランダいっぱいの『帰りを待つ黄色いハンカチ』と、『まびっ子がんばれ』と書いた7.4mの手作りの横断幕を揚げ、
願いを込め毎朝、目印の傘とハートのうちわを振って『いってらっしゃい❕まびっこがんばれ❕』と声をかけています。
バスの中から、手を振り返してくれる子供たちの
『頑張るよ❕』と 言っているのが聞こえるような嬉しい朝です。
そのバス通学のひ孫が 学校で『希望をつなぐプロジェクトはるかのひまわり』の種をもらってきてくれました。
それをきっかけに神戸・東北・真備の復興運動として、種を蒔いて、
夏、150本ものひまわりの花が
子供たちのバスを 応援してくれました。
未来ある子供達、被災した人達が、安心して住める真備町に、一日でも早く帰れる町にと 復興を願い『聖火の心をつなげたい❕希望の道をつなげたい❕』
83才のばあちゃんが走ることで、一人でも 勇気と、希望の種を届けたいと願っています。
どうか走らせて下さい。よろしくお願いいたします❕
(原文のまま)
そして、第三者の推薦、という欄があって、
そこにはいとこ(おばちゃんの長女)が次のように書いていました。
10人のひ孫を持つ83才の母。
10才で長女として母を助け、幼い妹・弟を連れて約2年かけ満州から引き揚げました。
苦しい戦後も持ち前のパワーで力強く生き抜き、戦争体験を『孫たちへの証言』へ投稿し、今も子供達へ語り継いでいます。
66才で、長年の夢だった車の免許取得に挑戦し成功❕
70代半ばで返納しました。
77才の記念に『吉備路マラソン』5㎞を完走。
80才の記念には、瀬戸大橋の175mの主塔に若者を差し置いてトップで登り切りました。
明るく色々なことに興味を持ち、挑戦し続けている姿は、周囲の人々を力づけ、『○○さん(おばちゃんの名前)と話すと元気が出る❕心が明るくなる❕ありがとう❕』と喜ばれている母です。
今は被災した子供達を応援することが一番の想いです。頑張っている子供達、復興へと励まれている方々へ、聖火ランナーとして精いっぱいの元気を送りたい❕
どうか、母の願いを叶えて下さい。
よろしくお願いいたします。
(原文のまま)
195ページ目におばちゃんの投稿文が載っています。
妹であるばあちゃんの子供の頃作った標語「父父父、父をかえせ!」をタイトルに入れてくれています。
2016年の本四高速のツアー写真より。これを登ったらしい。80才で。
応募用紙の文読んだとき、これはおばちゃん当選するな、と思ったんだがな。
残念がっている周りの私たちより、もうおばちゃんは次のチャレンジを探しているようです。